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2014年1月5日 題目「創造理想の新しい出発点」 許満亮教会長

本文のみ言:「真の御父母様のみ言」

<予定論に関するみ言>
第1節 み旨に対する予定

 み旨には個人として行くべきみ旨があると同時に、家庭として行くべきみ旨があり、その次には氏族を超えて国家として行くべきみ旨があり、世界が行くべきみ旨があります。神様には本来、人々が行くべきみ旨の世界はこうだという創造理想があったことは間違いないので、いくら人類が堕落し、人間世界がいくら悪だとしても、そのみ旨の道は残っていることを私たちは知らなければなりません。神様は絶対であり、永遠、不変、唯一の方なので、その方のみ旨も絶対であり、永遠、不変、唯一のみ旨に間違いありません。(90-136,1964.12.25)


第2節 み旨成就に対する予定

 今日の私たち統一教会を中心として見てみれば、統一教会がみ旨を抱いていく行路において、このみ旨を成就させるかさせられないかということが問題です。み旨というものは、個人に該当するみ旨もあり、全体に該当するみ旨もあるので、個人に該当するみ旨に相対できる人たちと、全体に該当するみ旨に相対できる人たちがいなければ、み旨を成就することができません。いくらみ旨を成就することができる時を迎えたとしても、その人が責任遂行を果たすことができなくなれば、み旨を成就できる一時も失ってしまうようになるのです。(28-68、1970.1.4)

 今日、統一教会が提示した責任分担という言葉は、偉大な言葉です。今日の人類歴史を神様の摂理とともに相対的な立場で関連を持つことができ、解決できる言葉が責任分担という言葉です。責任分担を果たせなくなるときは、神様のみ旨が延長されていくのです。統一教会にもこのような運命があります。それで、責任に対しては決死の覚悟を持たなければなりません。誰かと相談する問題ではありません。絶対的なのです。(138-271、1986.1.24)


第3節 人間に対する予定

 神様がアダムとエバに干渉できなかったのは、人間の責任分担というものがあったからです。彼らが蘇生、長成、完成の成長期間を経て直接主管圏内で祝福を受けていれば、すなわち人間の責任分担5パーセントを完成していれば、すべてのことが終わったでしょう。そこから新しい出発、個人的な人生と家庭的な人生が始まっていたのであり、私たちの歴史的なすべての出発において、神様のみ旨を完成していたでしょう。
 そうしていれば、そこから真の愛を中心とする、神様の血族となる真の父母が出てきて真の家庭、真の子女を立てて氏族、民族、国家を編成し、地上に、神様が願っていた理想を実現した国家が成し遂げられていたことでしょう。それが地上天国です。(252-227、1994.1.1)



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