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2013年12月15日 題目「」
 許満亮教会長

本文のみ言:「み言に学ぶ統一原理」
復活論について
 
第一節 復活

 聖書に「自分の命を救おうとするものは、それを失い、それを失うものは、保つのである」(ルカ17.33)とあります。ここでいう命を失うこと、つまり死とは何を意味するのでしょうか。神様が下さる永遠の真の生命を殺しなさいということではありません。サタン世界の堕落した血統を受け継いだ生命を殺しなさいということです。ですから、み旨のために死のうとする人は生きるというのです。(1999.2.4)

 創世記2章7節に「主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹き入れられた。そこで人は生きた者となった」とあるように、実体となったのちに神様が生気を吹き入れてくださって「生きた者」になります。それでは「生きた者」とは何でしょうか。「生きた者」とは神様が私の父であることを感じられる存在であり、神様と一体を成した世界に入っていって、切っても切れない永遠不変の神様の実体対象となる存在です。(1959.1.11)

第二節 復活摂理

 私たちが子女になるためには、何をしなければならないのでしょうか。復活しなければなりません。アダムが堕落して神様のみ言を失ってしまい、体を失ってしまい、神様の愛を失ってしまいました。み言と人格と愛を失ってしまったのです。ですから、復帰しようとすれば、これらのものを取り戻さなければなりません。神様のみ言を中心として、み言どおりに実践して、み言どおりになって、み言の実を結ばなければなりません。(1968.11.20)

 イエス様は、「自分の命を救おうとするものは、それを失い、それを失うものは、保つのである」(ルカ17.33)と言われました。命を投げ出そうするときに、自分を生かすためであったり、復活するために死のうと考える人は、たとえ死んでも復活できません。天国に行くために死ななければならないと思えば、天国に行けないのです。それでは、誰のために、何のために死ぬのでしょうか。愛のために死ぬのです。神様を愛するために死ぬというのです。神様を愛せなかったことが堕落なので、神様を愛さなければなりません。そのように愛してこそ、その愛を求めてこられた神様が、その愛と一つになっている私を引っ張っていくがゆえに復活するのです。(1971.2.6)

 行いの義や、信仰の義や、侍る義を追求するのはなぜでしょうか。義がなければ善悪が分別できないからです。悪の世界と善の世界を分けられないのです。その善の中心点とは何かというと神様です。神様が信じるように、神様が行うように、神様が侍るように、常に神様が中心にならなければならないのです。それはなぜでしょうか。サタンは、神様のように義の人には讒訴できないのです。神様が信じ、神様が行い、神様が生活する、その侍る環境にいれば、サタンが干渉することはできません。

 常に、サタン圏内にいたとしても、その環境に神様と共にいることのできる義の基準ができれば、サタンはそこから後退するのです。しかし、行いの旧約時代が過ぎ、信仰の新約時代が過ぎ、侍る成約時代だけがあるのではありません。旧約時代にも信仰が必要であり、新約時代にも行いが必要であり、侍る生活もすべて必要です。成約時代にも信仰が必要であり、行いが必要であり、みな必要です。それは、蘇生の上に長成があり、長成の上に完成があるのと同じことなのです。それは、離そうとしても離すことのできないものです。(1987.2.15)

 もし皆さんが、この地で責任を果たせないときには、皆さん自身の子孫を代わりに立てなければなりません。自分を救ってくれるメシヤのような立場に、その子孫を立て、彼らを助け、彼らの事情を見てあげながら協助してあげなければならないのです。彼らをして、皆さんが生きている時にできなかった責任分担を成し遂げられるように、協助しなければならない立場に置かれたというのです。これが再臨復活の現象です。私たちが霊界に行って、再臨復活しなければならない立場に置かれるとすれば、そのような立場で幸福でいられるでしょうか。それは、不可能です、あってはならないことです。自分の責任を果たせなかった人は、責任を果たした栄光の位置に行けません。無限の功績の世界なので、自分の責任をすべて遂行できなければ、そのままでは入っていけないのです。再び責任を遂行する時まで、数百、数千、数万年、即ち長い時間が延長されるのです。それは、当然の道理です。そのような立場をおいて考えてみるとき、今日、私たちが生きているこの時がどれほど貴重でしょうか。(1970.3.20)

第三節 再臨復活による宗教統一

 宗教の統一はどのように成されるのですか。再臨復活によって成されるのです。これから再臨復活です。霊界をすべて祝福したので、もうほかに行く所がありません。祝福を受けてどこに行くのですか。地上にいる父母様の所に行って協助しなければなりません。ですから、皆さんは、日常生活において一人で考えて行動してはいけないというのです。既に皆さんの背後には、霊界にあらゆる人たちがいて、目の前で見ています。呼んで願えば、協助してくれます。霊的な先祖たちを呼べば、来て協助することを感じなければなりません。(1999.7.2)



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