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2013年7月28日 題目「真の愛の行く道」 許満亮教会長


本文のみ言 新天聖経 第3篇 真の愛


第3章 真の愛の実践(P345−P348)
「犠牲者はより中心になる」 

16 愛の道には、犠牲が伴われます。それは、相手の愛を完全に占領するためだかです。相手が完全に私と一つになることができ、私に順応できる土台を作らなければならないからです。愛のために犠牲の代価を払う人の前には、愛を中心として完全に一体になるのです。故に、愛の所在地は自分にあるのではなく相手にあるのです。自分が優れているので、妻や夫が私を愛すると思ってはいけないのです。

17 愛の根拠地は自分自体にあるのではなく相手にあります。ですので、相手の価値を100パーセント認めるところでのみ、100パーセント愛の価値が現れるのです。愛の道では、何故、犠牲にしなければならないのか。それは自分のものではないからです。相手という根拠地を置いているから、その根拠地に完全に一致できる与件を提示しなくては愛の目的を達成することができません。ですので、完全に愛するためには完全な犠牲を払わなければなりません。完全な犠牲を超えて行く愛の道には完全な統一が広がります。

18 犠牲になる者は、必ず中心者となります。家庭での孝子は、より犠牲になる人です。ですので、家庭の中心になります。国においての愛国者は、より犠牲になる人ですので国の中心者になります。聖人の中でもより犠牲になる人が聖人の中の聖人になります。これが天理ですので、この天理の道を厳粛について行って、全ての分野において和合できる人にならなければなりません。そうなると、神様の新しい希望が寄ってきて、神様の愛の力が加重されるのです。

19 愛の道は犠牲になることによって輝くようになります。故に、聖書に‘あなたの心を尽くし、命を捧げ、思いを尽くし、力を尽くして主なるあなたの神を愛せよ!’とあり、これが一番目の戒めだと言われました。宇宙の全ての戒めの中の、第一の戒めは正にこれです。これが一番重要な法です。この法を中心として成されれば、その他(ほか)のすべての法度はこの制度圏の中で治められるようになります。このような観点で、神様のみ旨を成すためには、神様の創造理想を成すためには行くべく道があります。創造理想は、絶対的な神様の愛と関係を結ぶ時に実現されるのです。

20 真なる愛の道は自分の側を犠牲にしてでもより大きい世界に向かって前進し、手を広げて犠牲にすることです。家庭を中心として見れば、家庭が社会のために存在する時には家庭を離れても、その家庭を離れるのではなく、それと同じ位置で社会と共に一つになるのです。

21 息子が成長し、相手に逢い夫婦に成れば、父母とは離れるでしょうが、夫婦になることによって、父母との愛の因縁がもっと深まることもできるし、子女を生むことによって、もっと大きくなることもできるのです。その家庭が社会に出ればもっと大きくなるし、発展すればするほどもっと大きくなることができるのです。

22 我々個人が家庭のために犠牲になることは家庭的な愛の道を探すためであり、家庭を犠牲にして氏族を探そうとするのは氏族的な愛の道を広げるためであり、氏族を犠牲にして民族を救おうとするのは民族的な愛の道を広げるためであり、民族を犠牲にして世界を救おうとするのは、世界的な愛の道を広げるためであります。このように世界的な愛を中心として神様の愛まで行かなければなりません。このように行くべき道が、今後我々の行くべき道なのです。

23 宗教は個人を犠牲にし、家庭を犠牲にし、氏族を犠牲にし、国までも犠牲にすることです。イスラエルの国も氏族圏を犠牲にして来ました。そして、世界の国家の中でも宗教を信じる国家は、今まで犠牲の道を歩んで来ているのです。創造的愛の対象理念を成すためには、それが愛の本質的な原則ですので、その原則に通じなくては、神様と一致し得る立場を持つことが出来ません。また、神様の主管される愛の理想世界と関係を結ぶこともできません。愛の理想世界と関係を結ぶためには、その原則の伝統を引き継がなくてはならないので、宗教の行く道は、愛を、博愛主義を先立てて犠牲になることを強調してきたのです。天国と地獄、善と悪はここで分かれるのです。

 



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