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2013年4月7日 題目「万物を愛する心、人を愛する心」
 許満亮教会長

本文:真の愛の生活信条「愛天愛人愛国」

第3章 国を愛する生活

 二、自然万物を愛する

・自然とは何でしょうか。神様が、「私」のために、「ために生きる」愛をもった息子、娘が生まれるときに、「ために生きる」ことができる万物として、贈り物として下さった展示品です。一つの鳥の声も、伸びていく草の一株も愛の息子、娘の生活美化のためにつくられた装飾品です。道端に転がっている岩も、息子、娘が国を治める主人になることを知って、その国の装飾品としてつくられたのです。流れる水も同じです。無味乾燥で単調であってはいけないので、無限に調和する和合の園、愛のために生きるそのような世界を見て、それを相続できる夢の息子、希望の王子にするために創造したのです。(1988.4.16)

・水も、人のためにできたのです。気分が良いですか。山谷(さんごく)に入っていけば、滝の音は騒がしく、流れる水の音は神秘的です。自然環境に調和できる流れを備えていくとき、水の音は、神秘境のあらゆるものをもっているのです。(1990.1.28)

神様を愛することにより、私の人生は大きく変わりました。自分よりも人類をもっと愛し、私と私の家族よりも人類の苦痛を先に考える人になったのです。また、神様がつくられたすべてのものを愛そうと努力しました。山にある木を愛し、水にいる魚を愛する心で見ました。世の中のすべてのものから神のみ手を感じようと、触覚を鋭敏にしました。(自叙伝327P)

・「礼節と儀式」より
今まで私たちはめちゃくちゃに生きてきたし、言葉もめちゃくちゃに話してきました。しかしこれからは、私たちの家庭も規律を立てなければなりません。これからはすべてが一新されなければなりません。神様を中心として言葉から、態度から、生活から一新された立場に立たなければならないのです。(170P)
祝福家庭は天に侍る生活で手本にならなければならないし、献金、敬拝式、伝道などを生活化しなければなりません。(179P)

 2、亨進様の指導

・私たちは、教会に行ったり、宗教的なことを行ったりして、霊的に修養を行っているかもしれませんが、いったん家に帰れば、家族や配偶者と共に、世俗的なことと、この世的な時間に埋もれてしまいます。これが大きな問題なのです。時として私たちは、家庭から、神聖さや宗教的なものは教会に属するものだとして追い出してしまうのです。私たちの日常生活のどの部分においても、たとえそれが最も世俗的なものだとみなされるものでも、神聖さを欠いてはいけません(天和堂7P)

・最も世俗的で平凡で、いつも反復され、ともすればうんざりするように思えることもある私たちの日常生活、特に、家族と共にいるような時間の中に霊的で宗教的な定義をもっと拡大していかなければなりません。(天和堂8P)
 
・単純で基本的なことこそ、それを行うのが難しいのです。(天和堂59P)

・父母の役割と宗教的、霊的な修練と修養を別々なもの考えています。しかし、統一教会員としてこのような分離は、間違った理解によるものだということを悟らなければなりません。私たちは、子供たちと一緒に時間を過ごし、一緒にいる瞬間を霊性のための訓練と考えなければいけません。(天和堂174P)

 3、大母様の指導 「真なる妻の役割」より

・生活習慣というものは大変怖いものです。地上で喧嘩して一つになれなかった場合、天国に行ったからといって、すぐさま笑って過ごすことができますか。生活習慣というのは永遠であるため、もし私たちが天国に行くとしても、地上での生活習慣が恐ろしいほどそのまま適用されるので、神様の前で孝子孝女になることができないのです。(真なる妻の役割31P)

・自分の霊人体を愛の不具者にするのか、あるいは美しくするのかということは、地上の生活にかかっています。地上で真の愛をもって美しく生きてこそ、その美しさをもって霊界に行き、美しく生きるのです。地上において真の愛で互いのために尽くし、真の家庭を
築き、美しく喜びをもって生きることができなければ、霊界に行っても同じように、そのように生きるのです。ところが、人々はこれを知らずにいい加減に生きています。

・み言と生活が一体となっていなければなりません。原理のみ言を知ったならば、生活もそのように変化してこそ霊人体が善良に成長するのです。善なる世界で生きるのか、或いは悪なる世界で生きるのかは、今の地上での生活によって決定されます。それゆえ、毎日の一瞬一瞬の生活は、永遠なる霊界の生活に直結しているということを知らなければなりません。

・食べ物を摂取することによって知らない内に肉身が育つように、地上で生活する内容によって、霊人体は私たちが知らない中で育っているのです。だれが、見ようが見まいが、だれが認めようが認めまいが、自分の日常の生活によって霊人体は育っているのです。そのようにして地上の生を終えて霊人体が肉身を抜け出せば、自分の知らないうちに育ったその霊人体を見るようになり、その霊人体
に含まれている様々な内容を発見して、驚いたり、惜しんだりするのです。

・霊界で地上で肉身のあるときにどのような生活をしたかによって、それに値する世界を探していくのです。地上で自分の霊人体を100%善良に成長させれば天国に行き、天国に行くことのできる姿に近づけばそちらのほうに行き、より遠い姿であれば天国からかけ離れた所に行きます。もし50%は善なる姿であり、50%は悪なる姿の霊人体であれば、中間霊界に行くのです。肉身によって霊人体を成長させて死を迎えれば、霊人体は肉身から抜け出て、自分の霊人体の姿に合う霊界の階層に行くのです。ですから自分が地上で生きながら、霊界で生きることになる家を美しく建てているのか、或いは地獄に建てているのかは、地上にいるときに決まります。

・一瞬一瞬の生活内容は、自分の霊人体に直接的に影響を与えるのです。しかし、霊界のどこに行くことになるかは地上ではわからず、地上の生を終えたとき、すなわち、自分の霊人体と肉身が分離したときに初めて悟るようになるのです。




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