トップページ > 礼拝のみ言 > 2013年3月24日

2013年3月24日 題目「み旨(志)の成就のための決意」
 許満亮教会長

訓読のみ言 「御旨の道」「原理講論」より

「み旨の章から」

・み旨は、私がいる前からあった。神様がみ旨の始まりであり、み旨の内容であり、み旨の目的である。

・み旨は、我々の全ての幸福の要素であり、我々の誇りであり、我々の権威であり、我々の知識ともなるのである。

・人は生まれてそのまま死んで行けるけれども、み旨は、そのままでは消え去ることができない。必ず、実を結び、結末をつけなければならない。

・我々は、行くべき道を残しておいて、今日に満足する者とならずに、この世の未練を断ち切ることのできる、より大きいみ旨をもって、新しい歴史を開拓していこう。

・天国に行ける人は、この世の最高の栄光の位置を与えられても、「み旨を捨てることはできない」という、一片丹心の心情を所有した者である。

・神様が自ら僕の立場で涙を流し、神様が自ら子女の立場で涙を流し、神様が自ら父母の立場で涙を流しておられる事情を知って、その恨みを解くために至誠を尽くしなさい。

・幸福とは、与えてもまた与えたいし、大事にしてもまた大事にしたいし、愛してもなお愛したい人を探すことである。

・神様の最高の目的は、人間である。

・人間の欲望の究極は、神を知って、神の善と幸福と愛を所有し、神を所有することである。


「原理講論:四位基台の存在様相」

 これ以外にも、また、性相的な中心としての関係がある。前者を肉的な関係であるというならば、後者は精神的、または霊的な関係である。物質から形成された人間の生理的機能が、心の知情意に完全に共鳴するのは、物質もやはり、知情意に共鳴できる要素をもっているという事実を立証するものにほかならない。このような要素が、物質の性相を形成しているために、森羅万象は、各々その程度の差こそあれ、すべてが知情意の感応体となっている。
我々が自然界の美に陶酔して、それらと渾然一体の神秘境を体験できるのは、人間が被造物のこのような性相の中心ともなるからである。(原理講論P60)




戻る




reihai20120715.htmlへのリンク