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2015年3月22日

金 琮培教会長

「天聖經」

 生活の中で、どんな立場で天と同行するかという評価の基準を育てる生活が、統一教会の信仰生活です。これが皆さんがあの世に行ったとき、財産になり、今後新しい世代が歴史の主人公になるのか、あるいは落伍者になるのかを決める境界線になるのです。

 私たちには勝利基準が必要です。使命を完遂できる出発の起点が必要です。これは、自分が主体的立場で勝利基準を立てなければならないということです。そうでなければ、目的とするところを実現させられないというのは、当然の論理です。それでは、勝利基準をどこに立てるのでしょうか。それは、「私」自身に立てなければならないのです。

 イエス様がいつも心中で深く考えたこととは何かというと、「父と息子はいつも一つにならなければならない」ということでした。すなわち勝利的主体である神様を中心として、自分が地において主体的な立場で勝利的基盤を備えるためには、まず自分の心に神様を迎えなければならないという認識をもっていたのです。そのような立場でイエス様が自分のことを「神の宮である」と言った話が成立するのです。結局、勝利の基準とは、地で神様の実体となるイエス様を中心として、聖殿と同じ立場で一体になる基盤です。
 すなわち、勝利の基準を決定することを標準としなければ、復帰の完結や、あるいはその当時、イエス様の使命を終結させる方法がないというのです。このような観点から信仰の基準を立てて出発しなければ、いくら信仰生活を長くしたとしても、いくら困難な路程を経過したとしても、勝利の基準を備えた立場に立ったと言うことができません。ですから、一番大きな問題は、勝利の基準を、自分自体内でまず決定できるひと時をもたなければならないということであると結論を下せるのです。


 今も人類が、罪悪の落とし穴から抜け出すことができずにいる理由とは何でしょうか。最初からサタンの偽りの血統を受けて生まれたからです。摂理的なみ旨と目的に対して天が授けてくださった本然的で原理的な血縁ではなく、人間の失敗によって引き起こされた後天的で非原理的な関係だという意味です。言い換えれば、たとえ堕落して父母を失ってしまった孤児の立場になったとしても、天が下さった父母と子女の根本関係がなくなることはないのですが、堕落して無知に陥り、植物人間のようになってしまった人間は、父母が厳然として生きていらっしゃるにもかかわらず、それに気づきことができずに生きる、盲目の人生を送るようになってしまったのです。したがって、堕落の血統を所有している人間は、誰彼を問わず、例外なく血統転換を経て再び生まれなければなりません。なぜなら、その道だけが、神様が下さった創造本然の血縁に還元する唯一の道だからです。

 人類は今、これまで執拗に苦しめられてきたサタンの偽りの血統を果敢に断ち切り、真の父母様の真の血統の根に接ぎ木されなければなりません。これ以上、野生のオリーブの木として人生を終える愚を犯してはならないというのです。それは、野生のオリーブの木では、千年を生きても、野生のオリーブの種しか生産できないという悪循環が続くからです。

 それでは、どうしたら私たちは、野生のオリーブの木の立場から抜け出す道を探すことができるのでしょうか。天の真の血統をもってこられた真の父母様を通して祝福結婚を受けることが、正に真のオリーブの木に接ぎ木される恩賜なのです。血統を変えなければ、種を変えることはできないからです。祝福は、重生、復活、永生の三段階を経るようになっています。





 







 



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